積善の家には必ず余慶あり

致知2013年1月号より抜粋 平成十九年に『和語陰隲録』の校註書を出版しました。
その三年前に北九州市の警察部長を最後に定年退官、生命保険会社に再就職後、九州国際大学の特任教授となり、現在教鞭を執っています。
その間、同著を自費出版したのですが、版元には「こういう難しい本は売れないと思う」と言われ、私もそれは承知の上でした。ところが予想に反して版を重ね現在四刷りに至っています。それだけ現代社会で『陰隲録』の教えが渇望されているのだと感じます。
『陰隲録』は中国・明の時代に生きた大学者袁了凡が息子天啓に書き残した「立命の書」です。人生は宿命に支配されていると諦観していた了凡は雲谷という高僧と出会い、陰隲(人知れず善を積むこと)によって自らが運命を拓いていけることを知ります。彼の七十四年の生涯の体験録である同書は、中国の庶民の道徳書として広く親しまれたといいます。
この善書は日本にも伝わり、江戸時代には無名上人が『和語陰隲録』として世に出したことから、為政者はもちろんのこと、庶民の道徳意識の向上にも大きな役割を果たしました。
私は若い頃から仕事と並行して漢詩を習う一方、その流れから地元九州の日田で私塾咸宜園を主宰した広瀬淡窓を中心とする九州の儒学者の系譜を学んできました。『陰隲録』では「功過格」によって日々の自分の行いを振り返り、善行の数と悪行の数を記録し、その差し引きした善行の数を累計していきます。広瀬淡窓もそれを実践した記録「万善簿」を残しています。
振り返りますと、二十代の頃、安岡正篤先生が解説した『陰隲録』を読みましたが、中国哲学の知識がなかったことから正直ピンとくるものがありませんでした。しかし、約三十年の月日が流れ、いまこそ陰隲の思想が大切だと思うに至りました。
仕事柄、世間を賑わす事件の移り変わりを見てきましたが、昨今の凶悪事件の異様さ、少年犯罪の陰湿さは信じがたいものがあります。最近もいじめ事件が話題に上がりましたが、その時、私はいつも江戸時代の私塾を思います。のべ四千人もの弟子がいたといわれる咸宜園において、「いじめ」を匂わせるような記録は残っていません。皆、悪さはするものの先輩が後輩の面倒をみよく見て、後輩も先輩を敬う。その様子を先生はしっかりと見守っているのです。
この違いは何か。「よい行いは自分の運命をよくし、悪い行いは自分の運命を悪くする」「自らの行いは、どんなに隠してもお天道様は見ている」という、日本人が脈々と受け継いできた道徳心がなくなってしまったのではないか――。嘆きにも似た思いをずっと抱いておりましたが、それを払拭してくれたのが、阪神・淡路大震災や東日本大震災後、自ら進んで奉仕活動に励む若者たちの姿です。
いまの若者たちは道徳心がないのではなく、教わっていないのだ。やり方が分からないだけで、そのDNAは脈々と受け継がれている。我われ先を行く者が、その心をどう育み、導くかが大切だと気づかされました。
私は『和語陰隲録』に続き、青少年向けに『こどもたちへ積善と陰徳のすすめ』を上梓しました。『和語陰隲録』を小中学生から高校生でも分かるよう意訳し、やはり「功過格」も現代の子供たちが共感するような内容にしました。「人の命を救う・百善」「先祖の供養、墓参りをする・三善」「友人や親との約束を守る・一善」「暴力を振るい、人に怪我をさせる・五十悪」「親に反抗する・十悪」……。
どんな偉人でも善行ばかりの人はいません。図らずも悪行を働いてしまうことがあるかもしれませんが、自らの行いを内省し改めていくことが大切です。また、若い人たちには「一度の百善より、一日に一善ずつでもよい。小さな善を積み重ねよう」と話しています。自分から挨拶をする、友人に温かい言葉を掛ける。笑顔を向ける。それも十分「一善」です。 これまで陰隲の思想などを教わってこなかった若者たちも、例えば昨今は就職難ですから「毎日一善を重ねようと心掛けて生きている人と、そうでない人では、ベテランの面接官はすぐに見抜いてしまうよね」と身近な例を引き合いに出して説明すると、一様に納得します。
かつて日本では倫理観や道徳心を育む教育が重視されてきましたが、現代では倫理観よりも科学が重んじられ、「善行によって運命がよくなる証拠はあるのか」という風潮になっています。しかし、私は「ある」と思うのです。
中国・周代の古典、五経の一つ『易経』に有名な箴言があります。「積善の家には必ず余慶あり」私はこの「必ず」が重要な根拠だと思っています。何千年も伝えられてきたこの箴言に間違いがあれば、時間という長い風雪に耐えることはできなかったでしょう。
人知れず善行を重ねることで必ず人生に幸運を招き入れることができる。この人生の真理を多くの若者たちが摑み、自らの運命を拓いてもらいたいと思います。同時に定年を迎え退職をした人たちも「後は余生」などと思わず、日々よき行いを重ねていってほしいものです。
偉大な教育者・広瀬淡窓は五十四の時に一念発起し、六十七歳で一万善を成し遂げた後も善行を続け、結果的に七十五歳の生涯を全うして一万七千善にまで到達しました。人間の成長に終わりはなく、運命にも定めはありません。私自身も最後まで陰隲録の教えによって魂を磨き続けていきたいと思っています。

(みうら・なおじ=九州国際大学特任教授)

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